美和さんって、人間をどのように観てますか?

さっきの質問。

 

たくさんの人を見てて、

どういうふうに人を見ていますか、

というかどういう風な人間観が

あるかという意味合いでいいですか?

 

それを語る前に私の過去の見方があるんですね。

 

多分、私の過去の見方というか、

エドウィンに出会う前。

 

人間は好きだし、

その心理に興味はずっとあった反面、

厄介だな、って因果だな、って思った。

 

人に関わることがとても好きだし、

得意だけど、すごく疲れて

すごく嫌だなって思った。

 

できるなら人間に関わらずに

生きられるならどんなにいいだろって。

 

すごいでしょ、これが人間観です、私の。

 

でもたぶん表面上

誰もそんなことに気づかなかったです。

 

すごいがんばっている人に見えるのは明らか。

でもあったかいし、厳しくもあるし。

 

人材開発とかやってたんで。

割と後輩がいるグループ会社だったりも、

そういう関係になってからは。

 

こういう仕事をしても、

ちょっとどこか姉御肌になりかねないような。

 

今は何かというと、

自分に対する人間観、結局何かって、

人間観って自分をどう見ているかって

いうところから思っていて、

 

今ね、何かっていうと

私はやっぱりこう自分の存在が

必ずしも人様にとってプラスだったと

思えないということから始まったと

思うんですね、自分のこと。

 

でも人間って全員、

善なる気持ちを持っている。

 

善なはずなのに、どうして

こんなにひどくなれるのかなって。

 

大切な人を傷づけるような発言をして、

馬鹿みたいに後悔して、

お互い傷ついてなんの得したんだろう、

誰も得しなかったね、

でもやっちゃうよね、みたいな。

 

でも私には私の理屈があって、我慢して、

我慢して、我慢して、我慢したうえで

大爆発が起きた時なのよ、みたいな。

 

ちょっとこう言い訳もあるし。

親とかに

 

「そういうこと外でもやったらね、

 あなたうまくいかないのよ」

 

「やりませんから、外では」

 

みたいな。

 

「私、外ではすごいいい人ですから」みたいな。

 

とかそういう感じで生きてきて。

だからなんで人間っていいものなのに、

こんなに身勝手になれて

ひどい残忍になるんだろうなってとこが

私は不思議だった。

 

で、どうして人って人の

お互い気持ちが伝わらないんだろうなって。

そこにこだわりがあるから。

 

受け入れられたい、受け入れたい、

愛したい、愛されたい、ってのに

こだわりがあったんだと思うんですよね。

 

それが得られない時に、

すごくそれが私にとってはなんとも言えない

 

辛い気持ちだったんだと思う。

痛みになるからだと思うんですけど。

 

それが前提で、世界を見ていても

そうだなって思ったわけなんですよね。

 

外国に行ってもそれは起きる、

学校の中でも、私のその人間観を表す一例が、

言える器量がまだいた時代、

 

中学生の時に、他校から転校になって、

今日になって転校なんてありえないですけど、

その子は来たのにまたいなくなって、

ふと何か月ぶりかに登校して、

幸いその子、本当の悪って感じじゃなかったんですよ。

 

ダサい子なのに一生懸命

悪になっていて、根はいい子。

ってみんなわかっていたから、

同級生の女子みんなすっごいウェルカムだった。

 

男の子はみんな単純だから分かっちゃいない。

「来ちゃったぜー」、みたいなね。

 

女の子は、来たよ、来たよ!って。

みんなウェルカムで、この子ずっと

通えるようにしよう!みたいなね。

 

なんかそんな連帯感があったんですよね、なぜか。

 

ちょっと悪い子たちもいたからかも、

半端な悪い子たちが他にね。

 

で、私もその時学級の

副委員長かなんかだった。

 

そしたらあほなタイプの先生が、

その子座っていたら、

来て足バン!ってその子を蹴って、

 

「お前なんだその靴!」

「ちょっとこい、校則やろう」

「ばかやろう!」とかみたいな感じで言って、

二度とその子現れなかった。

 

もう私、胸倉つかんでやろうか、って思って。

 

お前に何の権利があって、

この子がどんな思いで今日勇気を出して、

ここに何かの居場所があるんじゃないかと信じて。

 

他にないから、一番来たくないとこだけど、

それでも勇気出してきたのに、

どこの世界にそんなこときけるの、って。

 

どんな人間の面しているんだって、

こいつが本当に教師かって思って、

本当に煮えくり返るような思いで、

でも何も言えなかったですね、その時。

 

言わなかった。

その自分にも腹立つし、

私だって校則違反の靴下をその時履いてた。

 

その子ほどじゃないかもしれないけど、

それは何も言わない。

 

どんだけ人って不公平なんだったって、

その子のことも忘れられないし、

そういう理不尽なこといっぱい私には見える気がした。

 

多分私以外の人にもいっぱい子供の時、

見聞きしていると思う。

 

胸の内にしまったこといっぱいあると思う。

そういうの社会に出たっていっぱい起きるでしょ。

ものを申さぬものは力を持たない。

 

よく英語でラウドな人ほど、

騒ぎ立てれる人間ほど

まるでいい思いをするっていうのもあったり。

 

努力して影になっている人ほど、

日が当たらなかったり。

 

そういう私の中ではどこか

理不尽な思いというのがあった。

苦々しい思い。

 

なので、面倒くさいって結論に最後はいった。

人間と関わらないで済むのならそれでいい、って。

 

でも因果だからいつも人間と関わる羽目になるって。

もっと言うなら、人間様の

一番奥深いとこを見るようなタイプ。

 

エドウィンに引っ張られて。

やっぱり人間、自分でも嫌だからね、

今言ったこと全部自分の中にも

あるってこと知ってるからですよ。

 

人の中に自分も人間という

大きなくくりで私も持っているので、

それがいやだったわけですよ。

 

自分、最後に嫌なの。

とっとと死んだら死んだで結構って感じ。

明日死んでも別に後悔はない。

毎日一生懸命生きてるつもりですから。

 

それがエドウィンと付き合っていくと、

人の普段気付かない心理、

でもその人を突き動かしてしまう

ある特定のパターンを無意識でやってしまう

言動パターンというか、

人間関係のパターンを作ってしまっている

無意識を見る機会があるんです。

 

まるでその人の世界の物語のようにそれが見えて、

聞こえたり感じたりするんですけど、

その人が大体それを口にしてくれて。

 

「さ、何感じていますか?」

「きゅーっとします。」

 

「それってどんな思いですか?」とか

「何してますか?」

 

とかっていうことをやっていくと

本当にそれで知ったのは、なんて人の内側は

儚くも繊細で複雑でなんと美しくて、

全く違うんだろうって。

 

全員にそれぞれの理屈があるわけですね、

事情があるんです。

 

理由があったんですよ。

 

それをどうして表面だけ見てね、

判断できましょう、って。

 

その人こうだ、ああだって

ラベルつけて分かったような口きけましょう

ってのが私の至るようになった。

 

あの先生も事情があったでしょう。

でもどうしてあの先生あの時、

あの子のことをそういう風に言えたでしょう。

 

でも要は何かっていうと、

みんながこの自分たちの美しい、

でも事情なる複雑怪奇な、

 

そして時に歪み、

時には美しいこの世界を知って

それが本来の美しい状態、

自然が整っている状態、

喜びに満ちている状態、

満たされている状態、

 

もし戻っていくプロセスを歩めたならば、

で、そんな人たちで社会の中がいっぱいになったら

何が起きるか、多分要らない

痛みや悲しみや傷が無用になるだろう。

 

そしたら何が起きるか、

みんながもっと発展的で豊かで

幸福を大きくするための生き方を

誰もが手伝いあえる。

 

関わるべき人がかかわりあって、

それをどんどん発展的にものすごいスピードで、

それこそそれが効率的で効果的になるわけです。

 

でないと、私達には効率的で

効果的って何の意味もないと思う。

 

疲弊に近いと思う、という風な思いに

どんどん至らざるを得ないようなストーリーや

どんな映画よりもどんな小説よりも奇なる。

 

そしてまあ美しくて完璧なんです。

それ以外のことが起きようがないよね、

ってぐらい、その人の話なんです。

 

無意味なんです、他にないんです。

 

ただ、でも共通しているのは、

どれもが繊細で精妙で、

ある意味儚い部分があり、もろくて純粋で複雑で、

でもいつもみんなそれなりの理由があって、

こうなってるって、でその下には

いつも完璧な調和を、

美しさがあるってことだけが確信できる。

 

それはどこから始まったかというと、

自分が自分でそれを体験し始めたから。

 

で、人の中を見た時に、

あれ?やっぱり他の人もだ。

 

え、じゃ私のことも信じていいのかな、

私が体験したことはやっぱり本当?って。

 

少なくとも自分が自分を

より愛おしいと思い始めるようになっていたので、

そうすると不思議と他の人たち、

ぱっと見、合わない、私ぱっと見、

やっていること気に入らない相手でも

なんとなくこの人の内側同じね。

 

自分がいとおしいと思って、

自分にも事情があって、

私が悪いばかりじゃない、

責めれないね、って事情もあったってこと、

 

自分に対して自分を許す気持ちというか

自分に対して柔らかく寛容に優しく接することを

覚え始めると人様にも同じことができるんです。

 

私、結局は人が好きですけど、

めっちゃ厳しいですよね、さっきの言い方。

 

先生に対しても厳しいじゃないですか。

それが自分に対しての接し方そのものだったと

後でわかるんですよね。

 

そんなことを何年やっても変わんないんですよ。

なので最近は

 

そうなんですよね、

何やってもどんなケースの人でも、

エドウィンたちの国に行くと、

カナダ、アメリカ、イギリスとか

ヨーロッパの人たちと会うと、

ちょっと日本では語られないような、

虐待、レイプのような様々なケースを

私の一番最初のトレーニングはそれだった。

 

私のうちの複雑な家庭なんて話どころじゃない。

 

でもその人たちが癒されてその人の内側にある

美しいものが出るって体験をしてきたので、

まあちょっとやそっとのことでは

びっくりしないですけど、

いろんなケースも見ますよね。

 

でも例外ないんですよね。

 

最近はカチンとくるやつとか、

いけ好かないとか、なんであんなこと!

とかいうのあっても大体カチンって

最初の反応があったりする。

 

いや、でもみんな違うよね、

いや面白いよね、いやあの人にはあの人の

事情があるんだろうね、って。

 

でも何かあるんだよね。

ま、幸せになってほしいよね。

 

いやー、人って違う、

面白いとしか言いようがない。

 

 

もう人間関係で悩まない。自信を持って楽に人と付き合えるようになる失敗しないコミュニケーションメール講座

PCメール
携帯、キャリアメール
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

よく読まれている記事